カレイドスコープ24(サンプル)

:泣かせるまほう

※ギャングスタパロ

 ゆっくりと睦月の中で溶けて、効果を発揮しようとしていた促進剤(セレブレ)が一気に沸騰する。視界が明滅する。脳が溶ける。筋肉がきしむ。壁を足場に飛び上がって、路地にわだかまる複数の男を見つけた瞳が三日月にゆがんだ。
「ねえ───いないんスか? 睦月、全部食べていいの…?」
 緩やかな落下にあわせて、ほつれた髪の毛が揺れる。服の襟元から滑り出たドッグタグにはややかすれてはいたけれど「A/0」の刻印が光っていて、曇り空越しのくすんだ光に反射したそれを見た男たちが息を飲んだ。
 アルファベットと数字の組み合わせで表記される等級。それは、黄昏種(トワイライツ)とそれを知る人間の間でだけ通じる記号だ。アルファベットが早いほど、数字が若いほど、黄昏種としての強さと稀少性があがる。「要するによりバケモノってことッス」と昔葉月に説明したらめいっぱい嫌な顔をされたな、と回想しながら、睦月は男たちの真ん中に降り立った。
「なァに…みんな健常者(ノーマル)なんスか? つまんないなぁ」
 歪んだ視界のままわらう。血の臭いと薬で煮詰められた頭に正常な判断ができるはずもなく、ばらばらと蜘蛛の子を散らすように逃げ出した男たちを一人ずつ端から捕まえて睦月はブラックジャックを振るった。投げる突くだけではない。武器につながった紐が回された手首を支点にして、すでに走り出した男の後頭部を強打する。路地を汚すなという葉月の命は守っている。路地を汚していない、ただそれだけだけれど。それはあまりにも一方的な戦いだった。戦いと呼べるかどうかすらも怪しい、ただただ逃げる弱きものを追って狩るだけの、暴虐というしかないそれ。
 ぐるりと辺りを見回す。立っている人間はいない。睦月のほかに立っている人間がいたらそれは敵だ。敵は殺さなくてはいけない。
 気付けば睦月の周りには倒れ伏した男たちしかいなかった。取りこぼした覚えもないから、きっと送られてきた刺客はこれですべてだろう。
 もう睦月は、その程度の判断もできなくなっていた。
 葉月と合流する前に噛み砕いた促進(アッパー)系の黄昏種用投与剤(セレブレ)が、直前の食事と食べ合わせでも悪かったのか普段の倍の強さで睦月の頭を蝕んでいる。普段は天真爛漫なはずの少女が、血と薬物をトリガーにして、化け物へ変わる。


:きみはだれかの青いばら

※華アワセパロ

「如月ちゃんがいてくれるなら僕は負けないからね」
「そうやってほかの水妹の子たちにも同じことを言っているくせに」
 面白がるような顔でうそぶく如月とそっくり同じ調子で笑い返すと、耐えきれなかったのかその唇から小さな笑い声が漏れた。
 華詠は水妹とふれあうことでその力を増す。水妹は多ければ多いほど良い。水妹のハイエンドとして位置づけられる泉姫はその量をひとりで賄うだけの能力をその身に宿しているらしいが、泉姫に興味のない弥生には縁のない話だ。
 かちり。壁に据え付けられた時計がわざとらしく針を動かす。華うつし───模擬戦はいつものことだけれど、今日は相手が泉姫候補を擁した五光の一人だから少し話が違う。いつもよりずっと慎重に、ずっと丹念に力を振るわねばならない。
 弥生は如月の肩に触れた。
「ねえ如月ちゃん、大好きだよ」
 僕のかわいい水妹さん、そう囁く。ほかのどの水妹に与えるのとも違う、あふれるほどの恋情にほんの少し欲を乗せた声で。
「……私もよ、弥生。私の愛しい華詠さま?」
 伸べられた如月の手のひらに手のひらを押しつけて、指を撫でさするように握り込んだ。
 返された如月の声にはひずんだ響きが潜む。華詠と、水妹と、華アワセ。二人を取り巻く美しく汚れた世界からはみ出して、弥生は如月に口付けた。身の内で膨らむ力。それが弥生の凶器であり、如月の誇りだ。
 長いキスが終わり濡れた唇を軽くなめて、弥生は無理矢理に笑ってみせた。
「いってきます、如月ちゃん。僕らに勝利がありますように」
「あんたは勝つわ───たとえ誰が相手でも」
 激励は祈りに似ている。つよい瞳を揺らさないままの如月の視線を背後に受けながら、弥生は歩きだした。


:ミスリードは色褪せない

※パラスティックソウルパロ

 国家という区切りがなくなった世界で、水無月はずっと弟を捜していた。ビルア種として、たった一人の遺伝子を分けあった双子の弟。彼がフェードアウトしてから、そろそろ五年が経とうとしている。
 弟はハイビルアだった。幼い頃から高等研究所で一人きり、誰とも言葉を交わすことなく研究に没頭していたから、姿を消したときも水無月以外の誰も気にかけようとはしなかった。正確には、通常のハイビルアよりずっと早い時点でフェードアウトした彼に研究価値を見いだしたのか何人かの科学者が水無月に手を貸したけれど、いっこうに見つからない手がかりに一人また一人と諦めていったのだ。もう、弟を捜しているのは水無月一人しかいない。
 フェードアウトしたハイビルアを見つけるには、ホープタウンに行くのが一番早い。もちろん水無月も何度か足を運んだけれど、ホープタウンはビルア種にとって安全な場所ではなかったから、いつも弟を見つける前に自分の身が危うくなって命からがら逃げ帰るのが常だった。
 それでも大切な片割れを諦めることなんて出来なくて、水無月はとあるハイビルア研究所に籍を置いていた。我ながら未練がましい、と彼女はたまに自嘲するが、敬愛するうつくしい女所長は「それくらいの執念がなければ」と笑う。
 研究に比較的協力的なハイビルアとの面談を終え、まとめた報告書を手に所長室へ向かう道すがら、水無月は自分を呼ぶ弟の声を聞いたような気がして足を止めた。ひくりと頭上のふわふわした耳がひきつる。
「……みーくん?」
 返事はない。当然だ。頭の中でかすかにこだました弟の声にはわずかに非難するような響きがあって、水無月はまた自分の中の罪悪感を自覚する。
 弟ではない人たちの間に混ざり、弟ではない人たちと会話することに慣れてしまった。昔は弟がハイビルアであったために一人で進学した学校を孤独に過ごし、毎日研究所へ弟を迎えに行っては満たされていた。水無月の世界には彼女自身と弟だけがいて、羽毛布団のような優しさと愛情に満ちている。生涯そのはずであったのに、突然いなくなってしまった弟を追い求めるために、世界は水無月に開くことを要求した。納得ずくでそれを受け入れたのは自分なのに、時折弟に対して手ひどい裏切りを行っているような気分になるのだ。
 けれど、その罪悪感をひっかく弟の残響を聞くたびに、水無月は弟の存在を強く知覚する。死んでしまったわけではない、この世界のどこかで、どうにかして生きている。だからいつまで経っても、他の科学者たちのように諦めてしまうことが出来ないでいた。
「報告書を持ってきました。入ります」