感情線路は回帰する
ただいまと習慣のまま口にした言葉に返事が返ってきて、文月はあわててリビングのドアを開けた。
「おかえり!」
「……ただいま。俺さっきおかえりって言ったよな?」
「言ったよ? どうしたの、今日早いじゃない」
「かわいい妹の顔を見るためにがんばったんだよ」
「ふふ」
ソファに腰掛けていた兄の足下に文月がぺたんと座る。くたびれたジーンズにもたれてテレビを見ると、なんだかよくわからないバラエティが垂れ流しになっていた。
意味のない画面が目に痛くて、そっと瞼をおろす。もたれていた膝にすり寄ると、何も言わないまま大きな手のひらが髪を撫でていった。
「……なんか髪傷んでないか」
「そう? 特に変わったことはしてないけど」
「なんか触っててぱさぱさする……」
頭上で呟かれた言葉があまりにも不満げだったので、思わず笑ってしまう。文月が喉の奥で笑いをこぼしたのが聞こえたのか、撫でていた髪を引っ張られた。抗議して兄を見上げると、ぱちりとぶつかったのは柔らかく溶けた瞳。
「お兄ちゃん?」
「んー……文月、ちょっと髪伸びた?」
「ああ、最近切りに行けてなくて。みっともないかな」
「いや? かわいいからいいけど。ずっと短いままだよな、お前」
「伸ばしてほしい?」
あえてそう聞こえるように囁いた文月の言葉の、媚びた響きを拾って兄がひどくおもしろそうに笑う。
「わーるい女になったな、文月」
「お兄ちゃん相手の時だけだよ」
「お前はいつか刺されるぞ」
「お兄ちゃんに?」
なら別にいいかな、とうそぶいた文月を窘めた兄だったが、その声がどうしようもなく嬉しそうだったのを文月は聞き逃さない。
水無月の双子を批判も揶揄もせず見守れるのは、彼女たちと同じ情動が少なからず自分にあるからだ。あの二人ほど踏み外してはいないと思っているけれど、実際がどうなのか定かでない。文月の世界は家族と親友とその他大勢の人間で出来ていたが、兄がいるだけでぐんと彩度が上がった。
「お兄ちゃん、もっと早く帰ってきてよ。そうしたら私も早く帰ってくるから」
「バカ言うな、これでも頑張ってるんだぞ」
ぐしゃぐしゃとかき回された髪は、短いせいか絡まりもせずにぱらりと落ちる。やっぱり伸ばそうかなと呟いた文月に、兄は何も言わず微笑んだだけだった。
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