大人げない大人
かちん、と陶器のぶつかる音がした。机にならんだカップとソーサーはそれぞれ柄が違う。戯れに出かけたフリーマーケットで、つい衝動的に購入してしまった物だ。
「とりあえず、おめでとう、長月」
「ふふ、ありがとう」
「長かったねえ。我慢したかいはあった?」
「なかったら我慢しないよ」
笑い含みの弥生に静かに答え、長月はコーヒーを一口飲んだ。今度は音がしないようにソーサーに戻すと、机に置いていた携帯が振動してけたたましい音を立てる。ぱちんと薄いフリップを開けば、簡素な表示で「葉月」の二文字が浮かんでいた。携帯のディスプレイを見た長月が笑みを深くしたのを見て、弥生も口に運んだカップに隠れて少しだけ笑う。
うっかりすると女性に見間違えられる事も少なくない長月が、呆れるほどの遠回りをして手に入れたたった一人の女の子。じわじわと逃げ道を奪うようにしていくやり方は彼が愛読している漫画に出るような戦いのそれにとても似ていたけれど、ただ単に臆病なだけだったのだと弥生は知っている。
「葉月ちゃん、幸せにしてあげてね?」
「当たり前だろう? じゃなきゃ、何のためにここまでしたのかわからないじゃない」
「わぁ、長月怖−い」
「弥生には言われたくないなあ」
「え、どうして?」
きょとんと首を傾げた弥生に向かって、長月は苦笑いで同じように首を傾けた。
「卯月くんが如月を見てたの、知ってただろう?」
「………そうだね」
弥生はそっと微笑んだ。手に持ったままだったカップをソーサーに戻す。
高校で同じ空間を共有していた頃から、ずっと傍にいた。近すぎて見失ってしまいそうなほどの距離で長く過ごしたが、弥生は間違えることなく如月を捕まえた。じんわりと熱のこもった眼差しで、自分と同じように彼女を見つめていた卯月の存在に気付きながら。
「卯月は僕が好きだからね、僕の好きなものまで好きになろうとするんだよ。今までは半分ことか、譲ったりとかしてたんだけど、」
でも、如月ちゃんはだめ。そう言って弥生はうつくしく笑う。
「如月ちゃんだけは、卯月にだってあげない。長月にも」
「盗る気なんてないよ。ボクには葉月ちゃんが居るし」
にっこりと、長月もゆるくまとめた長い髪を揺らして微笑した。また携帯が振動する。開いた小さな画面の中で、葉月からのメールがめいっぱいの絵文字とデコレーションで混じりけのない愛を伝えてきていた。
「葉月ちゃん、もうすぐだって?」
「うん、もうこっちに向かってるみたい」
「じゃあ、お邪魔虫は退散しようかな。葉月ちゃんによろしくね?」
「そっちも、如月によろしく」
「え? なんで?」
首をかしげた弥生はひどく幼く見えた。もう成人して何年も経ついい大人なのに、ゆったりとした着物の着こなしやふわふわ揺れる柔らかな髪や、穏やかに下がった眦やそんなすべてが彼の年齢を若く見せかけているのだろう。
いつの間に飲み終わったのか空になったカップを押しやった弥生が立ち上がる。ふと手元を見た長月も自分の分のコーヒーも飲み干していたのに気づいて新しく淹れようと席を立った。
「これから会うんじゃないのかい? やけに浮かれてるなと思ったけど」
「…長月にはかなわないよ」
「お互い様だね」
肩をすくめて応えた弥生はそのまま笑顔で去って行く。その背中を見送ることなく店の奥に戻った長月がコーヒーを淹れなおして元のテーブルに戻ると、ちょうど買い物に出かけていた葉月が帰ってきたところだった。
「あ、長月…さん?」
「早かったね。おかえり、葉月ちゃん」
「…ただいま!」
葉月が栗色の髪を揺らして笑う。さらさらと音がしそうなそれを撫でながらコーヒーは、と聞くと、鞄からスポーツドリンクを取り出してこれがあるから大丈夫、と返された。
さっきまで弥生が座っていた椅子に彼女を促して、自分もまた元の席に戻る。淹れなおしたコーヒーはさておいて、長月は頬杖をつきながら浮かべていた笑みをほんの少し威圧的なものに作り変えた。
「さて、どうして疑問系だったのかな?」
「うっ……だって長月さん、シルエットがぱっと見女の人なんだもん」
「へえ?」
「髪長いしさー!」
うがあ! と拳を振り回した葉月は、すぐにその手を引っ込めて机の上に乗り出した。ぐんと近づけられた顔に思わず長月も笑みを消してすこしだけのけぞる。
「ねえ長月さん、なんで髪切らないの? 切ったら絶対かっこいいのに!」
「うーん、葉月ちゃんに言われるとちょっと揺らぐなあ…」
「切らないの?」
他意なんてありませんと顔にめいっぱい書いてあるような調子で葉月が首をひねった。対する長月は平静を取り戻したらしく、のんびりとコーヒーを飲みながら葉月を見る。ちらりと窺うような視線に葉月が乗り出していた半身を引くと、カップを置いた長月がにこりと笑った。
「葉月ちゃんにかっこいいって言ってもらえるのは魅力的だけど、ボクがかっこよくなって困るの、葉月ちゃんじゃないかな?」
「…っう、ぐ!!!」
低く呻いて葉月が机に突っ伏する。にこにこ笑う長月に叩きつけるようにして「ずるい」とだけ吐き捨てた少女の頭をもう一度撫で、彼は話題になっていた長い髪をゆるりと振った。
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